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ninjya
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■緊張する必要のないサービス大国-日本

私たちは、世界でも類を見ないサービス過剰国に暮らしています。
タクシーを止めればドアは自動的に開くし(世界で日本だけ)、降りるときには「忘れ物はないですか?」と乗務員(時にテープ)が注意してくれます。
また、JRで新幹線に乗る時、在来線の改札口で駅員さんが「切符の取り忘れにご注意ください」と何度も注意してくれます。
お店に買い物に行けば、「いらっしゃいませ。何をお探しですか?」と声をかけられ、買うまでずっと付きあってくれます(時には煩わしくなりますが…)。
とあるイタリアンレストランに入ると、まず氷入りの水が出てきます(注文していないのに水を出すのは世界で日本だけ)。注文したものがテーブルに並び、さあ~食べようかと思うと、「お皿が熱いので、お気をつけください。」と注意してくれます。
ある外国の方が、「日本に来て、最初は心地よかったけど、だんだんイライラしてきた。そのくらい自分でできる!子供じゃないんだから…。」とサービス過剰に憤慨していました。
余談ですが、「日本はミッキーマウスの国だ!」と言っていた外国人がいました。「いらっしゃいませ。ご注文は○○でよろしかったでしょうか。」などとミッキーマウスのような耳に残る高い声で、注文が間違ってないか確認してくれるからだそうです。
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木蓮

会社の近くの大芝小学校。
花壇も植木も花盛りです。

逆光だったので修正しましたが、実物より暗いですね~。
木蓮?と後ろは桜の木です。

昼食時に通った時とてもいい香りがして携帯で撮影しました。

近所のお母さんは一眼レフの立派なカメラで撮影していました…


とっても心穏やかになり、つい広島つけ麺の特盛り大辛を頼んでしまいました。

もし木蓮ではなかったら教えてください(^^;)
「リーチ」の店主、西岡利一さんは清水公照さんと同年配。
絵が好きで、将来家督を継ぐ約束でフランス留学したが、体を壊して帰国。
入院中に看護婦さんと恋仲になり、僅かな身の回りものと本を持って駆け落ち。
働こうとしたが「お坊ちゃま」育ちで続かない。
しかたなく、持ってた本を売り始めたのが古本屋の始めと聞いた。

本の装丁に詳しく、表紙に錦や古代布を使っては職人を泣かせた。
本の印行の印判も、消しゴムを削って手作りしたり、
本紙に特殊な和紙を探して使ったり、
三年間で装丁のことをさんざん勉強させられた。

味のある書は公照さんとも通じ、墨の4色刷りなどもやらされた。
絵描きとしても気心が合うのか、二人の長話につきあわされたが、
この三年間に、
お二人に教わったこと、
諦めないこと、
断らないことが
現在の私を形作っていると思う。

色んな紙を見せられた。
色んな墨を擦らされた。
色んな絵の具の匂いを嗅いだ。

今では到底出来ない貴重な体験をし、財産となった…

私の知ってる限りでは、「恋仲」「僅かな身の回りもの」「駆け落ち」の言葉が似合う唯一の方でしたねぇ~

今で言えば「ライトノベル」の走りと言ってもいいこれら画帳10巻も
「愚」「にほん」「桃紅李白」「右往左往」を残してあげてしまった。

10巻そろってれば大変なお宝だったろうにね(^。^)
私の育った小学校には、戦前の建築としては珍しい鉄筋コンクリート造りの校舎が残っていた。
原爆にもめげず、石造りの日銀と共に廃墟の街に聳えていたらしい。

5年生の頃、流行った遊びが「狐の野球」。テレビでやっていた「コンバット」を真似た遊びだが、戦争物の名前を使う事が憚られたため、コンで狐・バットで野球と呼び変えたのだ。
みんな手作りの「銃」を持ち、大きさによって射程と球数を決め、二組に分かれて敵陣を目指す。
大きい銃は射程が長いが、次弾を撃つまでに大きな声で五つ数えないといけない。場所はばれるし機能性に欠けるが、木っ端とパイプを組み合わせて色も付けたりした力作である。
口で「バーン」と言いながら「○○ちゃん、死んだ」といえば、その子は死んだ事になり以降の判定役となる。
ゲームより苦労し作り上げる工作の面白さと、みんなに披露し「すっげ~」の声を聞くのが主な楽しみであった。

ある日、その遊びが担任の先生にばれた。
次の日、全ての授業が中止となり、被爆建物である旧校舎の地下教室へと連れて行かれた。
薄暗い湿った地下教室。
「ここで、あなた達と同じ小学生が何十人と死にました。」
「被爆後、この校舎は病院として使われ、毎日何十人と死んでいきました。」
「私は主人と息子を戦争で亡くし、残った家族も全て原爆で亡くしたんです。」
と先生が静かに話し出した。
「この校舎の壁には、尋ね人の落書きで一杯でした。誰も消す事が出来ず、今では板を張って保護してありますが、写真があるので見に行きましょう。」
それでクラス全員、原爆資料館・原爆ドームへと連れて行かれた。

道すがら「ここには私の友人が住んでいた。」「ここは魚屋だった。」等々と話す先生。

改めて被爆直後の写真を見ると、
廃墟だ…
誰もいない。
存在した証拠も記録も何も残っていない。
日記も写真も服も茶碗も…

現在の平和公園しか見た事のない私たちに、
ここには人が暮らし、笑顔や包丁の音などの生活音に溢れていた事を知らされた。
自分だけ離れた工場に行っていたために残された悲しみ。
主人や息子を戦いの場に送り出してしまった悔恨。
泣き濡れて、立ち直れる事ができなかった数年間。
そして、二度と過ちを繰り返さないと誓い、教師となった事。

「どんな事があっても、人が人を殺してはいけません。」
「どんな理由をつけようと、人に人を殺させてはいけません。」
嗚咽しながら話す先生…
クラス全員が泣いた…


私の息子も高1となった。
そろそろ伝えなければならない。
それが私の義務だから…
独身の頃はワイン。
結婚してから自家製梅酒とワイン。
子供が生まれてからは梅酒ともらい物のビール。
学校に行くようになり梅酒。
それが今や焼酎。
私の晩酌は変遷してきた…


機嫌良く飲んでいたら「三笠フーズ」の事故米のニュースが流れてきた。
「宝山」汚染米混入のため回収…

まさに私が飲んでいたのが「宝山」!
思わず吹き出しそうになったがニュースに聞き入る。

開けたての「宝山」も交換してくれるのか…
それとも泣き寝入りか…


よく考えてみると、
同じ米とはいえ、何故食料品と工業用のものを同じ業者が扱えるんだろ?
食料用は農水省管轄で米屋さんが扱い。

糊は経産省管轄で、業者を変え同時に扱えなくすれば良いだけのこと、
そうすれば偽装も混入なんて事はあり得ない。

これはきっと農水省の利権が絡んでるぞ~~

何のために96回も検査に行ってたんだ!
農水省の役人に汚染米焼酎を飲ませてやれ!

「三笠フーズ」の社長に刑務所で毎日汚染米を食わせろ!




ショックと怒りで我を忘れてしまいました…m(_ _)m
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